【徹底検証】データで紐解く「完全キャッシュレススタジアム」
(本記事は、2019年6月19日にNewsPicksにて掲載された記事の転載です)
キャッシュレス化を促進し、日本の「エンパワーメント」を目指す楽天が、「東北楽天ゴールデンイーグルス」本拠地スタジアムのあらゆる支払いをキャッシュレス決済に限るという、「完全キャッシュレス化」を開始した。同じく楽天が運営する「ヴィッセル神戸」本拠地の「ノエビアスタジアム神戸」でも実施中だ。
一見、無謀にも思える大胆な構想が、なぜ可能になったのか。そして、どのように実現されたのか。開始から2か月、楽天生命パーク宮城で得られたデータとともに、紐解いていく。
世界初の「完全キャッシュレススタジアム」誕生
楽天イーグルスが本拠地とする「楽天生命パーク宮城」で、ある挑戦が始まった。4月2日に開催された開幕戦から、プロ野球チームの本拠地スタジアムとして世界初となる「完全キャッシュレス」を開始したのだ。
決済に使用できるのは、スマホアプリを用いたコード決済の「楽天ペイ(アプリ決済)」、電子マネーの「楽天Edy」、共通ポイントサービスの「楽天ポイントカード」(一部店舗を除く)、といった楽天のサービスと、「楽天カード」「楽天銀行デビットカード」を含む各種ブランドのクレジットカードとデビットカードだ。
事前の周知がもっとも大きな懸念事項だったが、当日、完全キャッシュレス化を知って入場した人は全体の95%(※4/3~4/4実施の現地ランダムサンプリング調査より)にものぼった。
あらゆる決済手段を持つ楽天だからできた「完全キャッシュレス」
日本では、クレジットカードのほかに、電子マネーが一定程度は浸透しているものの、コード決済は利用者がまだ限られている。その日本では、「現金NG」くらいのことをしなければ、キャッシュレス化はなかなか進まないだろう。
一方で、利便性を下げないためには、キャッシュレス決済手段はなるべく多く提供できたほうがいい。
楽天なら、キャッシュレスにまつわるあらゆる決済手段を全て自前で揃えている上、独自のお得なキャンペーンなども実施しやすい。
完全キャッシュレスを実現する上で、このように消費者に選択肢を提供できること、そして自前だからこそ柔軟に展開できることは、非常に重要なポイントだ。
「経産省が掲げる『2025年までにキャッシュレス比率を4割まで引き上げる』という目標を達成するには、相当思い切った施策が必要です」
そう語るのは、楽天ペイメント株式会社の社長・中村晃一氏だ。
「楽天には、『自ら実践して世の中に示す』というカルチャーがあります。全国の小売業者や飲食店に、あらゆる決済サービスを提供している私たちだからこそ、率先してキャッシュレス化に挑戦すべきなのです。
また、よく言われる「高齢者には難しい」というのは先入観で、使ってもらえば意外に簡単だということがわかります。むしろ、小銭を探して後ろを気にする必要がないので、キャッシュレスのほうが気が楽という方も多くいらっしゃいます」(中村氏)
楽天ペイメント株式会社は、この4月、組織改編により新たに設立された。これまで楽天が持つ決済サービスは、それぞれの事業が自前のサービスを広げることを目標にしていたが、さらに総合力を付加して、よりよいサービスを提供していく狙いだ。
キャッシュレス化の鍵は「消費者」「加盟店」「事業者」の三角形
楽天は、どのようにして日本のキャッシュレス化を促進していくのだろうか。中村氏は、「キャッシュレスの世界は三角形だ」と語る。
三角形それぞれの頂点は、決済サービスを利用する「 消費者 」、導入する「 加盟店 」 、そして提供する「 事業者 」だ。いずれかに極端に負荷がかかれば、キャッシュレス市場は持続的に育たない。つまり、キャッシュレス化を推進するためには、三者共にベネフィットが必要だということだ。
では、完全キャッシュレス化において、それぞれのベネフィットとは何か。
「消費者にとっては『お得で、便利』という恩恵があります。たとえば楽天生命パークでは、楽天ペイで支払うとビールやソフトドリンクが100円引きになり、グッズ購入では最大15%がポイント還元されるなど、さまざまなキャンペーンを実施中です。
また、買い物の際に小銭を持ち歩かずにすみますし、現金決済よりもオペレーションが単純化されることにより、店舗の待ち時間短縮も期待できる。行列に並んだがために決定的な瞬間を見逃す、『惜しい』経験をするファンも減るでしょう」(中村氏)
実際、これまでは試合前にはスタジアム正面にあるチームショップ(オフィシャルグッズショップ)が混雑する傾向にあったが、完全キャッシュレス化から2か月、待機列には大きな改善が見られている。
加盟店についてはどうか。
「『レジ締めが楽だ』『お釣りの渡し間違いが起こらないのはありがたい』という声が寄せられており、店舗運営の効率化、人手不足の解消策になっています」と中村氏。
実際、チームショップのデータでは、昨年1台に30分ほど要したレジ閉め作業が、完全キャッシュレス以降、10分になったという結果が出ている。飲食売店でも、感覚的には半分以下に時間短縮されたそうだ。
入金の手間もないことを加味すると、閉店後の作業の負担は劇的に減ったと言えるだろう。
また、楽天の決済サービスを導入している加盟店では、現金よりキャッシュレス決済する消費者のほうがリピート率が高く、購買単価も高い傾向にあるという。導入に際して取り扱いを覚える必要はあるが、手数料分の投資は容易に取り返せるというわけだ。
「イノベーション×オペレーション」の掛け算が世の中を変える
楽天では、新しい組み合わせでこれまでにない価値を生み出す「イノベーション」に加え、常に改善し、仕組化していくといった「オペレーション」も大切にしている。この両輪の掛け算で、自ら既成事実を積み重ねていくことだけが、世の中の常識を変えていく、という信念だ。
「徐々にではなく、いきなり完全キャッシュレスに踏み切ると発表したとき、もちろん戸惑いの声もありましたし、私たちも簡単にできるとは思っていません。しかし、出てきた問題を一つひとつ解決していけば、必ず克服できるはずです」(中村氏)
先に完全キャッシュレスを実施したノエビアスタジアムで出た課題をもとに、開幕戦当日は球場内のサポート人員を、20名から60名に増員。さらに、5か所のサポートデスク、約100台の「楽天Edy」チャージ機を設置した。
完全キャッシュレスを目指したからこそ生まれた、これまで見落としていたアイデアもたくさんある。
レンタルの「楽天Edy」を用意したほか、時間帯ごとに「楽天ペイ」の利用動向を集計し、人が集中しているエリアにはサポートスタッフを増員。店舗の混乱が起きないよう工夫したという。
始める前は売上減も覚悟していたというが、ふたを開けてみれば、楽天生命パークにおける開幕戦から2か月の飲食購入金額は前年比+19.8%、グッズ購入金額+20.1%と好調だ。
観客動員数も前年比で+11.2%伸びているほか、会計スピードは上がっても飲食の提供スピードが上がったわけではないため、一概にキャッシュレス化による売上増とは言えない。しかし、少なくとも消費者の購買行動が妨げられ、購入意欲が下がることはなかった。
これは、キャッシュレス化を進める上で、加盟店側にも示唆を与える事例だろう。
では、完全キャッシュレス化が事業者である楽天にもたらすベネフィットとは何か。
中村氏は「実際に何ができるかはまだわからないが」と前置きしながら、これまでにないスタジアム体験を提供できるのではないかと話す。
「サービス提供者として利益を得られるのはもちろんのこと、球場においては、たとえば『5回の裏にビールを買う人が多い』といった購入パターンや時間帯・頻度が、蓄積されたデータからわかれば、売り子さんを適切なタイミングで必要な場所に派遣することができます。
あるいは、同じタイミングで売店に買い物に行く傾向がある人は、同じ売店に集まらないよう座席を離すといった工夫も可能でしょう。
お客様が意識しないうちに、『お得で、便利』なだけではなく、ほかのスタジアムでは味わえない『快適さ』も徐々に構築したい。そして、スタジアムのようなキャッシュレス体験の場が、日本のキャッシュレス化に寄与すれば言うことはありませんね」(中村氏)
キャッシュレス化を支える楽天イーグルスのファンコミュニティ
今回の完全キャッシュレススタジアムでは、楽天イーグルスのファンコミュニティの存在も大きな意味を持つ。
2004年、楽天イーグルスは50年ぶりの新設球団、東北初の球団として誕生した。最後発、ほぼゼロからのスタートで無謀とも言われたが、「日本一」だけでなく、当時は赤字経営が当たり前だった球団運営を「黒字化」することを目指した。
初年度は、2度の11連敗を喫し、夏の終わりにはリーグ最下位が決定した。それでも、地元の子どもたちは、選手がホームランを打てば飛び跳ねて喜び、「楽天イーグルスの大ファンだ」と言う。
運営面では、当初から「ボールパーク構想」を打ち出し、球場外のレジャー施設・アトラクションの充実など、幾多の常識を打ち破るような活動に取り組み、初年度を含め過去5度の黒字を達成している。
2011年に東日本大震災が発生した際には、「がんばろう東北」を合言葉に、選手、球団職員、ファンがOne Teamとなり、復興に向けて歩んできた。そうして震災から3年目のシーズン、ついにチームは日本一に輝いた。
今回、楽天が完全キャッシュレス化に踏み込めたのは、このようなコミュニティの土台があったからかもしれない。促進キャンペーンも手伝ったが、開始後約2か月のデータでは4人に1人が「楽天ペイ」で決済するという、想定を超える利用率だった。
スタジアムの完全キャッシュレス化のインパクトは、球場内にとどまらない。仙台市内を走る「仙南タクシー」では、4月1日から、タクシー料金の支払いで「楽天ペイ」が使えるようになった。
また、仙台の商店街への営業開拓も進めていることもあり、周辺地域での「楽天ペイ」の取扱金額も急増しているという。
宮城県内での「楽天Edy」利用人数も、4月は前年比+38%と利用者増加が目覚ましく、スタジアム外の地域でもキャッシュレス決済利用を促進する状況が出来上がりつつある。
このほか、楽天は現在、同社の研究機関「楽天技術研究所」の技術を活用して、顔認証を用いた決済の開発・実証実験も行っている。開幕戦と同日の4月2日には、東北大学と包括連携協定を締結した。
三木谷浩史社長は調印式において、「ヘルスケア・医療分野、ロボティクス分野、人材育成分野における連携だけではなく、東北大学キャンパス内におけるキャッシュレス化も推進したい」と語った。
財布もカードも持たず、生活のすべてがキャッシュレスで済む。近い将来、そんな世界が仙台、そして東北から広がっていくのかもしれない。
( 制作:NewsPicks Brand design 執筆:唐仁原俊博 編集:大高志帆 撮影:早坂佳美)