楽天の創業秘話
1997年2月7日、楽天の前身である株式会社エム・ディー・エムが設立されました。「楽天市場」が開設されたのはその年の5月1日。従業員わずか6人からのスタートでした。大きな夢と情熱をもった若者たちが集まり、汗と涙とたくさんの笑いがありました。今回は、楽天の創業秘話(トリビア)を紹介します。
ネット企業ではなかったかも?
楽天といえばインターネット・サービス企業だと思われる方は多いかと思いますが、当初検討していた事業は、インターネットショッピングだけではありませんでした。地ビールの小規模醸造所の全国展開や、アメリカの天然酵母ベーカリーの日本でのフランチャイズ展開、コンタクトレンズの並行輸入など、100を超えるアイデアがあったといいます。その中から、元手が掛からず、将来性があり、社会に新しい価値を生み出すことができると考え、インターネットを使ったショッピングモール事業を行うことにしたのです。
「楽天市場」のコンセプトができるまで
「楽天市場」の開設にあたって、三木谷が立てた4つの仮説があります。
「インターネットは、もっと簡単に、もっと便利になる」
「インターネットは、爆発的に普及する」
「日本人は、インターネットでモノを買うようになる」
「インターネットで流通が変わる」
当時は、日本のインターネット接続の94%が電話回線によるダイヤルアップ方式でした。通信速度がとても遅かったため、今では当たり前に思われるこれらの仮説を説明しても、多くの人が信じなかったといいます。
しかし、創業メンバーはインターネットの可能性を誰よりも信じていました。そして、インターネットの力を使って、地方の商店や大きな店舗を持たない個人商店でも、全国規模で展開する大企業と同じ土俵で戦えるようにしたいという情熱を持っていました。思いに共感して「楽天市場」に出店してくれる店舗を集めるため、全国を飛び回ったのです。(「楽天市場」開設時の出店店舗は13店舗でした。)
「商い」をネットで簡単にできる仕組み
「楽天市場」を開設する前に作られた事業計画書には、楽天市場の事業コンセプトが描かれています。「インターネットの操作が上手な人」ではなく、「商売が上手な人」が、自分で簡単にページを更新して商売をしてもらえる仕組みを提供するという構想でした。
先行するショッピングモールの多くは、ウェブページの制作を専門業者に委託していたので、そうした経験のない“商売人”にとってページの更新はとても大変なものでした。また、ページの更新ごとに高額な費用が掛かったため、タイムリーな更新が難しく、季節外れの商品やセール情報が残ったままのページには、人が寄りつかなくなっていった状況があったからです。
活発で自由な「市場」を目指して
「楽天市場」というサービス名は、その事業コンセプトに通じる名称として、明るく前向きな意味の「楽天」という言葉に、織田信長が始めた、誰でも自由に商売できるようにした経済政策「楽市・楽座」(※)により人々が賑わった「市場」を組み合わせて生まれました。ちなみに、別の候補名には「ポルタ・パラッツォ」がありました。これはイタリアのトリノにあるヨーロッパ最大級の青空市場のことです。
ロングページに込められた想い
楽天市場の特長ともなっている、商品ページが縦に長いロングページの始まりは、「信州伊那谷のたまごやさん」でした。「生卵を販売したい」という要望をもらいながらも、配達中の壊れやすさと鮮度の保ちづらさから、当初は出店をお断りした店舗だったそうです。それでも、「自分の育てている素晴らしい鶏の玉子を、どうしても全国へ売りたい」という店主の方の強い熱意を受け、出店を受け入れることになりました。
出店して始めの2年は、ほとんど売れず苦労したそうです。しかし、「かわいい鶏」への愛情と、こだわりの飼料や飼育環境が書き綴られた商品ページに、玉子の鮮度が一目でわかる写真をたくさん掲載するようになるにつれ、徐々に多くのお客様がページを訪れるようになります。掲載された玉子商品は入手困難となるほどの人気を集めました。商品ページはどんどん長くなりましたが、そこにあふれる商品に対する想いが、お客様に届いたのです。
「信州伊那谷のたまごやさん」の成功事例が、「楽天市場」に出店する多くの店舗に共有され、取り入れられていった結果、ロングページは「楽天市場」のユニークさを表す代名詞になりました。
創業から20年が経ち、「楽天市場」以外にも多くのサービスを提供するようになった楽天ですが、創業当時に信じた可能性や抱いた志は、今も大切に引き継がれています。これからも、夢と情熱を持って、多くの方々に喜んでいただける革新的なサービスを提供していきます。