【追悼】闘将、星野仙一 人々の想いに突き動かされ、復興から日本一へ
東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天イーグルス)を監督として日本一に導き、その後もシニアアドバイザーや副会長としてチームの礎を築いた星野仙一さんが、2018年1月4日、70歳で永眠されました。
2011年の東日本震災から2013年のリーグ優勝、日本一に至るまで、星野さんがどのような思いを抱いていたのか――。楽天グループの従業員向けにと、2016年10月にご本人からお話を伺いました。「闘将」が語った、被災者や東北、野球への熱い強い思いは、いつまでも褪せることはありません。
心から哀悼の意を表するとともに、故人を偲び、当時のインタビュー内容を掲載します。
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忘れられないあの日
2011年3月11日は、決して忘れることはできません。私が楽天イーグルスの監督を引き受け、2~3年で必ず土台をつくってチームに光を与えようと決意していた矢先に、東日本大震災が起きました。その日、われわれはオープン戦で東北を離れていたのですが、選手は震災のことで悩み、身も心もすべて奪われ、まったく覇気を失っていました。
開幕の日は刻々と迫ってるのに、オープン戦はボコボコにやられるばかり。そんな中、チームは1日だけ仙台へ帰らせてもらいました。津波でやられた町、必死で孫を探すお婆さん、損壊したホーム球場・・・。それまでテレビの映像では映し出されていなかった惨状をいくつも目の当たりにし、たまらない思いが込み上げました。本当にまいったし、正直、逃げ出したいと思いました。
打ちのめされた選手たちを野球に呼び戻すにはどうしたらいいか、夜になれば空を見上げながら考える毎日。「いや、でも待てよ。この人生の苦難は乗り越えられるものだけに与えられるものだ。私がヘタってしまったら選手はもっと折れてしまうだろう」。そう思って、何が何でも乗り越えてみせると誓ったのです。
「見せましょう、野球の底力を!」と言った嶋のスピーチも忘れません。嶋、よくぞ言ってくれた、と涙が出ました。東北の皆さんにも、あのメッセージは響いたのではないかと思います。
「勝つしかないんだ!」
その年、プロ野球は、予定より半月遅れで開幕を迎えました。楽天イーグルスの選手たちは、試合をしながら、仙台に戻ればボランティア活動に尽力する毎日でした。練習時間を削っているのだから、試合で勝てるわけがありません。監督としては、選手を休ませ、しっかり練習もして勝ちたいという思いが当然ありました。一方で、地元のためにボランティアを続けたいという思いもあります。勝負には負けたくないだけに、その葛藤の中で悩み苦しみました。
避難所へ慰問に訪れると、大災害に遭ったのだという意識もない幼い子どもたちが、野球選手に会って無邪気にはしゃぐ姿が目に入ります。いじらしくて、悲しくて、何ともいえない気持ちになりました。中・高生の子たちには「お前たちがしっかりするんだぞ!」と叱咤激励しました。
本当の辛さや悲しさは当事者でなければ決してわかりません。でも、「自分たちにできることは何かないのか?」と考えたとき、やはり「勝つしかないんだ!」と思いました。「この子たちのために絶対に勝たなければいけない」と自分を奮い立たせ、無力感をエネルギーに変えていきました。
ホッとしたリーグ優勝、喜べた日本一
震災から3年目のシーズンが始まるときに、選手たちに言いました。「お前たちの献身的な気持ちは地元の方々にも十二分に伝わっている。今度は野球を通して強さを見せよう。子どもたちは強いヒーローに憧れ、そして勇気をもらうんだぞ。勝利をプレゼントしよう!」と。
毎日、必死でした。もともと強いチームではなかったので気を緩めてはいけないと思い、選手にもコーチにも厳しい言葉を投げかけました。眠れない日も続きました。それくらい気合を入れていたのです。
一戦一戦勝つことだけに集中していたら、いつのまにか勝ち星が増えて首位に立っていました。シーズンの後半、下位チームに2.5ゲーム差にまで迫られたときには、「下を見るな、自分たちの野球をしろ。真正面だけを見てベストを尽くせ」と選手たちに檄を飛ばしました。すると、また2位以下を引き離し始め、ついにリーグ優勝を手にしたのです。
リーグ優勝は、うれしいという思いはなく、「良かった、本当に良かった」と、心からホッとする気持ちのみでした。日本シリーズも勝ち抜き、日本一になって胴上げされたときにやっと、心の底から「やったー!」と喜べましたね。その瞬間、あの子どもたちのはしゃいだ顔を思い出していたからでしょう。
地域に密着してこそ
私は宗教や神様は信じないし、縁起も担がないタイプですが、2013年シーズンだけは、東北の皆さんの想いがチームに乗り移ったとしか思えません。何かに背中を押されたというか、目に見えない力に突き動かされていたように思うのです。東北のため、被災地の子どもたちのため、チームのためと思って、みんなが全力で闘った結果です。自分のためではなく誰かのためと思ったら、ゲームを簡単には捨てられなくなるのです。
優勝パレードでは、沿道に集まった多くのファンが「優勝おめでとう」ではなく、「ありがとう」と言ってくれました。あの「ありがとう」は、とても重く心に刺さりました。東北の皆さんのさまざまな気持ちがたくさん詰まっている「ありがとう」だったと思います。
プロ野球チームというのは、地域に密着してこそだと思います。私は楽天イーグルスの監督に就任した際、伊達政宗について勉強してから仙台へ赴きました。その土地の文化、歴史、風土を理解し、その土地の人情なども敏感に感じとって、地元に根付いていくことが大事だからです。
東北のファンは、勝ち負けは度外視して、試合に敗れても「おつかれさま」といって拍手をしてくれます。だからスタンドへ向かって、何度怒鳴ったことでしょう。「負けたら怒ってくれ!」って(笑)。それが本当に強いチームを作るには必要だからです。楽天イーグルスはもう新球団として甘んじていてはいけないし、まだまだ本当に強くなれると信じています。
新しい風を
野球界には依然として保守的なところもありますが、日本のプロ野球界の未来を見据えると、もっと裾野を広げることを考えなければなりません。楽天イーグルスを通して、東北の活性化はもちろん、球界にもどんどん新しい風を吹き込んでいきたいと思っています。
■プロフィール
星野仙一
1947年岡山県生まれ。1969年ドラフト1位指名で、中日ドラゴンズに入団。選手時代のポジションは投手。1974年に沢村賞を獲得。引退後、野球解説者を経て中日ドラゴンズ監督に就任し、2度のリーグ優勝。2002年シーズンから阪神タイガースの監督を務め、2003年に18年ぶりのリーグ優勝。2008年北京五輪野球日本代表監督。2011年から楽天イーグルスを監督として率い、2013年に日本シリーズを制覇。2014年に監督を退任し、シニアアドバイザーに就任。2015年より楽天野球団取締役副会長を務める。2017年に野球殿堂入り。2018年1月4日、70歳で永眠。