挫折を乗り越え、世界最強になった二人の原動力
2020年4月に第4の携帯キャリアとして本格サービスを開始した「楽天モバイル」は、2023年6月より4G人口カバー率 99.9%のエリアで高速データ通信を無制限で利用できる「Rakuten最強プラン」の提供を始めました(注1、2)。このプラン名にちなみ、8月に開催した楽天グループ最大級の体験イベント「Rakuten Optimism 2023」では、元レスリング世界王者の吉田沙保里氏、元サッカー女子日本代表でFIFA女子ワールドカップ(2017)での優勝経験を持つ丸山桂里奈氏を迎え、「最強とはなにか?」をテーマにしたトークセッションを行いました。
本記事では、特別コンテンツ「楽天『最強』ゼミ吉田沙保里&丸山桂里奈2名の金メダリストに学ぶ最強学」の内容を、ダイジェスト版としてご紹介します。こちらより動画のアーカイブ版もご覧いただくことができます(要無料登録)。
世界最強になるために心掛けたこと
――本日は「Rakuten最強プラン」にちなんで、最強のお二人にお越しいただきました。「最強とは何か」について学ぶゼミを開催します。まず、二人の金メダリストに世界最強を目指そうと思ったきっかけを伺います。
吉田: 中学2年生の頃、田村亮子選手(以下:やわらちゃん)がオリンピックで戦う姿を観たのがきっかけです。その姿に憧れて、オリンピックで金を取りたいという夢を初めてもちました。アテネオリンピックでやわらちゃんが金メダルを獲った時、挨拶に行きメダルを持たせてもらいました。そこで私の夢を話したところ「絶対できるから頑張って」と言葉をいただいたんです。そのアテネオリンピックで、夢が叶い、私も金メダルを手にすることができました。
丸山: 私は大田区の路地裏で、自転車がまだ乗れるか乗れないかの4歳ぐらいの時に、最強になりたいと思いました。サッカーは小学校6年生から始めたんですけど、その前に人間として最強になりたいと思ったんです。最強だったらきっとこの自転車も乗れるし、すごく速く走れるだろうと。
――思いを達成されて尊敬します。では、世界最強になって思ったことと、そこで見える景色について教えてください。
吉田: 夢だったオリンピックと世界選手権で金メダルを取れた瞬間は、素直に嬉しかったです。夢って叶うんだという気持ちでしたね。練習は苦しかったですが、途中でやめずにここまで続けてきてよかったと思いました。4年に一度のオリンピックが終わると、世界選手権が3年あります。オリンピックが終わったら休む選手もいるのですが、私は減量や怪我もなかったので続けました。一つ一つ目の前の目標をクリアしていくイメージです。今までに獲ったメダルは過去のこととして捉え、次の新しい目標を達成したいという思いでした。
丸山: 優勝した時は、まったく地に足がつかないで宙に浮いているみたいな、そんな感覚でした。今この会場から見る景色が、ちょうど優勝した時の景色と同じような感じです。わかります?
吉田: ごめんなさい。それはわからないです(笑)
――世界最強になるために心がけていたことはありますか?
丸山: 私は一度失敗すると、次も失敗するかもしれないと思って不安になります。だから逆に失敗を沢山しながら、自分らしくプレイをしようと考えていましたね。あとは運だと思っているので、日頃の行いをよくすることを心がけていました。ゴミは道に捨てないとか、ご飯は残さないとか。
吉田: 練習を最初から最後まで全力でこなすことを心がけていました。シューズを履くときから気持ちをオンにして、マットに上がったら準備体操も全力でやりました。そして積み重ねを意識していました。ライバルが2cmジャンプしたら、私は倍の4cmを飛びました。日々の小さな差が一年後の大きな差につながるんで。最初からとにかく全力でやることだけを考えます。
二人が選ぶ「最強の人」
――お二人が思う最強の人は誰ですか?
吉田: 「田村で金、谷で金、ママでも金」と名言を残したやわらちゃんです。谷選手がいたからこそ、今の私がいると思うので。夢ときっかけを作ってくださったやわらちゃんが本当に最強だと思っています。
――やわらちゃんのどの部分が最強だと思いますか?
吉田: 田村で金、谷で金、ママでも金ですよ。そんなこと言える人って初めてじゃないですか?私も本当は真似したかったんですよ。 結婚して、苗字を変えて。本当に憧れていました。
丸山: 私は、明石家さんまさんです。さんまさんはずっと喋っているじゃないですか。それでも疲れて猫背になることもなく、いつも姿勢良く立って話し続けている姿が最強です。
吉田: ファンの方にも親切だし、同感です。
――さんまさんも、お二人から好きと言ってもらえたら嬉しいでしょうね。では、勝負の前に必ず食べるご飯はありましたか?
吉田: 大一番の前に必ずこれを食べるという勝負飯は決めていませんでした。もし決めてしまうと、それを食べられなかったらどうしよう、と考えて雑音になっちゃうので。でも、焼肉や鉄板焼きが多かったですね。私はもともと少食なのですが、大好きな焼肉を食べるとご飯もすすむので、それがとてもパワーになっていました。
丸山: 私はお父さんが作る、玉ねぎ入りの卵焼きです。すごく上手で、試合の前後に問わず食べていました。パワーをもらっているような感覚になるんですよ。
挫折を乗り越えるために
――最強に向かって突き進む中で挫折したことはありますか?ぜひこれは詳しく伺いたいです。
丸山: 私は1年間アメリカのワシントンに行きました。でも最初は思ったように試合に出られなくて、初めて挫折を感じました。通訳さんがいると聞いていたのですが誰もいなくて、戦術など言われたことが全然わからなかったんです。言葉が通じなくて、ボールだけを追っかけていたら、見当違いになっちゃって。
――どう乗り越えたのですか?
丸山: その環境で頑張るのは自分しかいない、という開き直りです(笑)。同じ時期に澤穂希さんがワシントンにいて、毎日テレビ電話で相談していました。最初は日本に帰りたかったのですが「一度自分が決めた道だから、一生懸命最後までやろう」「試合に出ても出られなくてもチームのために最善を尽くすことが大事だと思うよ」とアドバイスをもらいました。それまでは、なんでも嫌だなと思ったら違うことをやるタイプだったんですけど、それからはうまくいかなくてもやってみようと思えるようになって、自分が変わったと思います。
――サバイバルを乗り越えて、澤さんというホットラインを見つけ、自分を保つことができたのですね。先ほど「失敗」の話をされていましたが、自分が成長したと思う時は、挫折や失敗からの学びが多かったですか。
丸山: 試合は負けて学ぶことの方が多いです。 勝っている時より、負けや失敗の時にどう行動するかで自分の未来、チームの未来も変わる気がします。
吉田: 私の挫折は119連勝で連覇ストップした時です。中国でのワールドカップ団体戦だったのですが、初めて外国人選手に負けて、頭が真っ白になりました。私が勝っていれば決勝までいって金メダルも獲れたはずなので、日本には帰りたくない気持ちでした。
――当時、吉田さんには「勝って当たり前」という印象がありましたよね。どうやって挫折を乗り越えたのですか?
吉田: ワールドカップの後、父から実家に帰って来るよう言われました。家にはレスリング道場があって、私は3歳からそこで始めました。私の原点です。今も子どもたちが練習をしています。その子たちが頑張っている姿を見て、私が見本にならないといけないのに、いつまでくよくよしているのだと感じました。母からは「119連勝したということは、119人の人があなたに負けて悔しい涙を流しているのに、ただ1回負けただけでしょ」と言われました。その後の北京オリンピックの代表にも決まっており、また金メダルを獲って皆さんに恩返しをしたらいいと背中を押されました。
その時に、本当にたくさんの方からメールやお手紙も頂いて。私ってこんなに応援してもらっていたんだと負けて気がつきました。この人たちのためにも頑張らないとっていう思いにさせてもらったのが、挫折を乗り越えたきっかけです。
「最強」の原動力
――ご家族含めて、周りの環境に感謝ですね。では最後の質問です。 最強に向かって突き進むことができた原動力を教えてください。
丸山: 友達や家族に、目には見えない力をもらっています。いつも背中を押してくれて、その手の圧が原動力になっています。実際に押された訳ではないのですが、30人くらいの手の圧が感覚としてずっと背中に残っているのです。ちょっと痒くなったりとかするんですけど(笑)。
吉田: 私も応援してくださるファンの皆さんのおかげですね。家族はもちろんですが、一緒に戦う仲間、応援してくださる方がいるから、また頑張ろうと思うことができました。それはもう、何度も何度も試合のたびに感じました。私たちが活躍することで皆さんが笑顔になり、元気になり、感動して喜んでもらえた時、本当にやってよかったと感じることができます。感謝ですね。
――私たちもテレビの前で、お二人にどれだけパワーとやる気と勇気をいただいたか。改めてお礼をしたいと思います。ありがとうございました。以上、「楽天『最強』ゼミ 吉田沙保里&丸山桂里奈2名の金メダリストに学ぶ最強学」でした。これからも最強を目指し続ける「楽天モバイル」にもぜひ皆様ご期待ください。
(注1)2023年6月時点。人口カバー率は、国勢調査に用いられる約500m区画において、50%以上の場所で通信可能なエリアを基に算出。
(注2)公平なサービス提供または環境により速度低下する場合あり。