楽天創業メンバートーク!【前編】~創業当時から根付く楽天のDNAとは?~
1997年、三木谷をはじめとする6人の若者が集まり、「楽天市場」はスタートしました。当時、地方都市では商店街の店が活気を失い、シャッター街が目立つようになっていました。地方の小さなお店でも、コンピューターに強くなくても誰でも簡単にお店を開けるインターネット・ショッピングモールを開設し、「もっと日本を元気にしたい」と集まった若かりし頃の楽天創業メンバーたち。現在は70以上のサービスを国内外で展開する楽天も、創業当時は今に言われる社会起業家たちが立ち上げたベンチャーでした。
社会起業家と楽天の有志社員による6カ月間のアクセラレータープログラム「Rakuten Social Accelerator」の成果発表会が行われた同日、「特定非営利活動法人ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京」代表理事 藤村 隆氏を司会に迎え、社内外で活躍する楽天の創業メンバーから、「学校法人軽井沢風越学園」理事長 本城 慎之介氏、「株式会社ぐるなび」代表取締役社長 杉原 章郎氏、「楽天株式会社」常務執行役員 CWO(チーフウェルビーイングオフィサー)小林 正忠の3人が集まり、特別プログラム「ソーシャル・スタートアップ時代の楽天」を開催しました。
創業当時から、人々と社会をエンパワーメントすることをミッションとして掲げる楽天のDNAを、当時の苦労や想い、そして現在の活動を交えながら、創業メンバーたちが語ったトークショーを前編と後編に分けてご紹介します。
藤村氏:さて、ここからの時間は、この情熱あふれるプログラム(Rakuten Social Accelerator)を作り出した楽天についてです。
私も昨年このプログラムを立ち上げに携わってから、沢山の楽天社員さんとお会いすることですごく大きな驚きがありました。その驚きの秘密を、ぜひ楽天の創業メンバーである、お三方に伺いたいと思います。
このプログラムには、応募してくださった団体さんの審査の段階から、多くの楽天社員さんが関わっています。一人ひとりにお話を聞いていくと、例えば、「頑張っている人を応援したい」、「ちょっと元気がなくなっている地域を何とか元気にしたい」とか、あるいは教育や社会の課題に興味を持っていた社員さんが沢山いらっしゃることがわかりました。それらの方々は、「地域や社会を元気にしたい」という同じ思いを持っている。ここには、楽天が持っている元々の価値観やDNAが、とても現れているのではないか、実はそこに惹かれて、いろいろな方々が集まっているのではないかなと思いました。
ぜひお三方からは、この価値観やDNAというものが、どのようにして生まれ、今こうして花開いているのかということを、お伺いしたいと思います。それぞれの観点からお聞かせください。
本城氏:こういう高い椅子に慣れてなくて僕下げましたけど、地に足ついてないとちょっと浮ついた気分になるので下げました(笑)。6人で始めたうちの3人が今壇上に上がっていますが、とにかく楽天創業時からいろいろな個人の商店や中小企業など、全国各地に「らくらくサーバー(現:Rakuten Merchant Server(RMS)※店舗運営システム)」というシステムを届けることで、お店に来てくれている人だけではなく、全国にお客さんを広げていくお手伝いをしよう、エンパワーメントしようというところからスタートしています。
今日のプレゼンテーションでは、「つながる」という言葉がたくさん出ていました。皆さん使われていた「つながる」という言葉は、おそらく何か足りないもの、不足しているものを与えるというやりとりや、貸し借りするという概念ではなく、「(互いに分け与えて)活用する」というような意味合いなのかなと思いました。楽天も創業当時から、「活用してもらう」ということを大事にしながら歩んできました。それがDNAと呼ばれる部分じゃないかなと思います。
杉原氏:僕の最初の役割は、営業として地方を周って(「楽天市場」への)出店店舗さんを集めることでした。大きなカバンにパンフレットを持たされて、地方に何週間かそのまま。三木谷さんから「会社にいなくていいから西の方に行け」みたいに言われて、新幹線に乗って都市を転々と営業していました。
営業に行くと、商店街がどんどん閉まっていくという現実を、「これって本当だったんだ」と実感しました。出店に興味があり、呼んでいただいた方々は、割とありふれた商品を販売されている方が多いという印象でした。
よく覚えているのは、三島にある刃物屋さんで「杉山刃物店」という、包丁を販売されているお店です。オーナーの杉山さんは、「パソコン通信」をされていたのでコンピューターリテラシーがそれなりにありそうだな、ネットで店舗編集作業とかできそうだなと思っていたら、(当時は)そういう作業ができなくて。商品写真を撮るところからお手伝いしたりして、ありふれた包丁がインターネットで本当に売れるのかと、僕の方が不安に思っていました。
でも、皆さんすごいです。なんていうか、可能性みたいなものに対して、すごくワクワクされていました。当時は、「インターネットがすごいことになるんだよね!?」とよく聞かれていた頃で、「社会において、インターネットはきっと役立つはずだ」と思いながらも、100軒、200軒と回っても全く契約が取れなかった時期であったため、自信がもてなくなり、半信半疑になるようなこともありました。
そんな中、杉山さんのようなキラキラした方に出会うと、「これはやっていける!」という確信をもつことができました。今まで半径5キロメートルぐらいが商圏だった人たちにとって、日本全部が商圏になったら、どれだけのビジネスができるのかと。これは、この人たちが全然違うステージに上がる、変わっていくためのお手伝いなんだと実感しながら営業していました。
小林:今日この場にいて、社会起業家の方々の熱いプレゼンを見て改めて思ったのが、「一番最初ってそんなカッコイイもんだったっけ?」と。当時は、本当に世の中を元気にしていきたい、日本にはもっと可能性があるという三木谷 浩史の言葉をひたすら信じてやっていましたから。
実は我々3人、大学が一緒なんです。学生の頃からの知り合いで、杉原と私がそのキャンパスの1期生で、本城が2期生なんですけれども。学生の頃から、キャンパスの中で何か新しいことをやっていく、ということにずっと関わっていました。面白いことをやるというワクワク感で、まずは「やってみよう」というのが、僕にとっての取っかかりだったのかなと思っています。当時三木谷がやっていたコンサル会社に、本城が加わっていたんですけど、本城をサポートするカタチで、2人のどちらかが出社をしたらお金をもらえる、みたいな業務委託契約を結んでいたんです。その状態を2カ月くらいやっていたら、ある日みんなで会社を作ろうということになったんです。私にとってはワクワクがありました。
先程杉原が話をした杉山さんは、サポートするのはめちゃめちゃ大変でした。当時の人は(パソコンについての)技術がないので。もちろん本業ではないからですが。そういう方々と接していく中で、「何でビジネスを始めたのか」、「その先どうしていきたいのか」というお話を聞けば聞くほど、「この人の夢を実現したい!」、「この人がたどり着きたいゴールに一緒に向かって伴走したい!」という思いが強くなっていきました。
そのように世の中を元気にするんだということが、今の楽天の中で本質的に根付いているDNAとなっているのかなと思います。我々の中から出てきたというよりは、外からそういう課題をいただきながら、我々の中で文化ができあがっていったのかなと感じます。
本城氏:モノが売れないと困っている全国の店舗さんに対して、僕らが解決のお手伝いをしたわけではないと思っています。困りごとや痛みを分け合うという感じではなく、むしろ、僕らには世界一のインターネット企業になるという夢があり、店舗さんには、もっと売りたい、もっとたくさんの人に自分の気持ちを届けたいという気持ちがあり、それぞれの夢を分かち合っていた。それが、楽天のやってきたエンパワーメントかなと思います。困りごとを解決することよりも、共に夢を追いかけていくところに本質があったのではないかと思っています。
小林:5万円だから、まあいいやって。面白そうだから夢に投資するよ!という感じで、(「楽天市場」に)乗っかっていただいたところもあって。当時、システムの利用料金(出店料)は、月5万円だったのですが、「それくらいだったら君らの夢に賭けるよ」といったカタチもありましたね。
藤村氏:ワクワク感や夢を一緒に追いかける感覚や熱量が、今でも変わらずに社員の皆さんから伝わってくるのが、すごく印象的だなと思いました。インターネットの隆盛、発展に伴って、楽天の事業が急成長していく中、何かビジネスとしてのやりがいや達成感を感じられたこともあると思います。社会に影響を与えている、社会を変えていると感じたり、意識したりすることはありますか?
本城氏:やっぱり倒産件数は減ったと思いますし、苦しむ家族が減ったと思います。僕も栃木のある着物屋さんや呉服屋さんと関わって、プライベートで遊びに行ったりもしました。地方は人口が衰退しているところが多く、買ってくれる人が減少してしまう。でも、オンラインによって息を吹き返すということがありました。
何十年、何百年続いているお店が、“新しい力”を得ていくということはあったと思います。そういう話を聞いたり、実際に接したりしていると、役に立てたかなと思いました。売上が上がっていく、数が増えるということよりも、一つの家族、従業員の家族が救われたということは、すごい自分達のパワーになったと思います。
杉原氏:5,000店舗を超えた時に行った記念イベントで出店者さんたちからの祝福メッセージの映像を流しました。その映像の中には、2000年近辺の経済状態が悪かったこともあって、「『楽天市場』がなかったら俺は無理心中していたかもしれない」といったコメントをしていた出店者さんがいて…、あれはぐっと胸にきました。楽天のおかげでやりなおせたといった風に言われたことで、自分たちのやっていることにすごい意味を改めて感じました。
小林:IT業界ということもあり、オフラインで商売をされていた方々の世代だと、少しだけハードルが高いのですが、50、60代の経営者のご子息やご令嬢が、そのあと3代目、4代目と引き継いでいて、そうした方々とコミュニケーションする機会も多くありました。
後継者がいないと仰っていたおじいちゃんの店舗さんがあったのですが。ある時に、「『楽天市場』に入って、売り上げが伸びたのは嬉しいんだけど、それよりも嬉しかったのは息子家族が実家に帰って家業を継いでくれたこと。楽天がなかったらこんなことはなかった」と言わました。本当にいいことをやったんだなと、一番実感した瞬間でしたね。
藤村氏:それは本当に、人の人生に密接に関わった瞬間、触れた瞬間になったのですね。今日ご登壇された5団体の皆様は、組織としての課題というものを率直に討論されていたと思います。組織がある課題を解決しながら大きくなっていく中で、何が一番重要でしょうか?ポジティブな面もあると思いますが、乗り越えなければいけなかったネガティブなものもあったと思います。今日の発表をご覧になった上で、例えば自分だったらこういう風に乗り越えたな、など、そのような感想があれば教えてください。
杉原氏:20数年、楽天を中心に活動をしてきて、「会社の役割って何だろう?」とよく考えます。小さく始めた会社が大きくなっていって、当時は「この会社で、みんなで一緒にやっていく!」、「一人も辞めてほしくない」と思っていましたが、今は辞める人はどんどんいてもいいし、戻ってくる人もいっぱいいていいと考えています。
インターネットが出てきて、個人と社会が直接つながれるようになったことで、「会社」の役割が相対的に下がってきた、もしくは変わってきていると思います。「会社」という場所を、もっと上手く活用するという考え方でいたほうがいい。楽天という会社が大きくなるにつれて、そう思うようになりました。すると、新しい人が入ってきて、新たなことに取り組まれることも、ポジティブに受け取れるし、辞めていって、新しいことをやる人のこともすごく応援する、というようになってきました。
小林:実際、楽天には戻ってくる社員も多いんです。三木谷がよく言うのは“土俵”だと。会社は土俵なので、そこでいろいろなことに挑戦してほしい。でも、実は彼は寂しがり屋なんだと思います。
本城氏:そんなこと言っていいんですか?(笑)
小林:いいんです、事実だろうから(笑)。なるべく一緒にいたい、辞めてほしくないというのが、彼の一番素直な思いなんだと思います。だからもっともっと社員に対して、いろいろなことをやっていきたいという思いは誰よりも強い。私自身も辞めてほしくないと思いますが、結局(一つの組織が)全部が全部を良くする、そんな組織は存在しないと思います。
楽天だけでできればいいですが、違う形で世の中を元気にする仲間が現れたら、それはそれでいいと思います。いずれまた楽天に戻ってきてくれるかもしれないし、いろいろな形でできたらいいのかなと思っています。これからの時代、どこか1社だけが何か素晴らしい行動をするというよりは、それぞれの考えを持っている人たちが、何か共通の思いのもとに実現していく、そんな社会になるのかなと思います。
本城氏:僕もまさにスタートアップの最中で、今年の4月に学校が開校します。この2年半は、その準備をずっとしてきましたが、「どう順調?」と聞かれることが多いんです。基本的には「いや問題だらけだ」、「課題だらけで困ってます」と答えています。本当に困っているので(笑)。今日のそれぞれの団体の発表からも、それぞれに困っているし、問題だらけなんだろうなと、伝わってきましたが、やはり声高らかに伝えるべきなんだろうなって思いました。「困ってます」、「うまくいってません」と。そしてそれを自分たちの力だけじゃなくて、他の人たちの力を借りて身内にしていく。たぶん今回関わった社員の方たちは、それぞれの団体の活動をもう放っておけないと思うんですよね。なので、身内にして仲間を増やしていくということはやっぱり大事だなと思いました。
>後編に続く